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韓流ドラマベートーベンウイルスSS

冬のソナチネ

 ←気分はミュンヘン( ^_^)/~~~
 →冬のソナチネ あとがき
例年、11月上旬から ドイツの各地はクリスマス・マーケットが開催され、賑やかなイルミネーションが街に彩りを振り撒く季節になる。
ミュンヘンの街も、いたるところで光のショーを繰り広げていた。
真冬の澄んだ空気の中で、ストリートミュージシャンの奏でるクリスマスに似つかわしい華やかな楽曲や美しい歌声は、街をそぞろ歩く人々を楽しませている。

街のクリスマスムードが最高潮に高まる12月半ば、クラシックコンサートも最繁忙期を迎えている。
ミュンヘン・フィルの首席指揮者マエストロ・カン・ゴヌの姿は指揮者執務室にあったーーー
この日も17時からの本拠地フィルハーモニーホールで指揮棒を執ったあとで、外はとうに日が暮れていた。
彼はマリエン広場のクリスマスマーケットにさんざめく人々と、イルミネーションの煌めきを窓辺に佇んで眺めたあと ゆっくりとデスクに戻った。
パソコンの画面の青い光をのぞく彼は、背筋を伸ばしキーボードに両手をのせているが、文字を打ち込む気配はない。
執務室に低く流れていたボルジシェフの交響曲ニ長調の第一楽章が終ったとき、彼は男にしては繊細な指の線をしている肌の美しい手を顎にあてて デスクに肘をつき、青に浮かぶ文字を眺めていた。
やがて彼は、左唇だけを僅かに緩ませ、眉を寄せて一通のメールを射抜くように視線で辿るや、我知らずもれ出した息と同時に パソコンの電源を落としたのだったーーー

大切なのは真実ではない、大事なのは想う人を一番幸せにすることだって?……まったく、こどものくせに生意気なことを言いやがって・・・

彼の顔に瞬きの間現れた不敵な笑みは、始末の行方に迷っていたわだかまりを、彼自らの覚悟と抱き合わせで腹に落としたことを示していた。

~冬のソナチネ~

「最近先生の機嫌が悪くって。ただでさえ無口なのに、なに考えてるのか帰宅してご飯食べると書斎にこもっちゃうの。」
「…へえ、ルミ姉も苦労するね。

先生なに考えてんのかな?
演奏にこだわり過ぎてトラブってるとか?ありそうなことじゃん。」

カン・マエ邸の居間でサバサバした調子で応えたのは、ハ・イドゥン 今や韓国政府の支援を受けて、国費留学生となっているーー過日、韓国で三人が共有した時間においてはカン・マエ・ルミ共に手を焼かせた…瑞々しい才能を開花させ始めているフルート奏者である。
彼女は九月から半年の予定でウイーン音楽院に留学しており、休みができると電車に乗って、姉のように慕うルミに会いにやってくる。
「やっぱりそう思う?
この前 先生からメールがあって、先生の執務室に書類を届けに行った時なんか顔もまともに合わせてくれなくて…言った言葉は入れ・もう帰れの二言だけよ、穏やかな口調ではあったけれどね。
ああいう人だから優しい言葉なんて期待してないけど、気になっちゃうわよ。ねっ、おチビちゃん?」

ルミは妊娠七ヶ月を数日前に過ぎた、ふっくらしたお腹を撫でながら語りかけ、イドゥンに柔らかい目線を合わせた。

「先生はルミ姉に甘えているんだと思うよ。
余裕がないのを取り繕わなくても許してくれるって信じているんだよ、きっと。
ところで、、ルミ姉、先生と過ごすクリスマスのプランは?」

「なーんにもないわよ。先生はあの調子だし…どんなに忙しくても顔に疲れは出さないタイプなのに。このところの先生は元気がないの、心配だわ。」

「ルミ姉・・・ダメじゃん。先生もなにしてんだか。二人きりでゆっくり過ごせるクリスマスなのにね。
カン・マエは素直じゃないから、まともに悩みなんか話すはずないけどさ。
とりあえずクリスマスに欲しいプレゼントはないの?なにげなーく私が伝えてあげようか?」

カン・マエは、イドゥンがウイーンに留学生として韓国から来て以来、彼女曰く"親愛なるメル友"の一人となっている。
カン・マエが慣れぬ土地で心細いであろう、とルミを通じて自分のメルアドを教えてやった経緯がある。
彼自身、若くして異国での留学生として過ごした日々の様々な経験から、さすがの彼女も心細いであろう、との親心(彼は公式には認めていないが、イドゥンの欧州での身元保障人である)から発した行為だった。
当然ながら圧倒的にイドゥンからのメールが多く、彼からのメールは皆無であるし 返信もひとことで終わる短いものが多い。

イドゥンは、思わず遠慮なく"カン・マエ"と呼び捨ててしまったあと、慌てて顔を赤らめ 、彼の妻であるルミの次の台詞に違う意味で赤くなった。

「二人きりでゆっくり過ごせれば…それだけでいいの。私といる先生の表情が、リラックスして緩んでいるのを傍で見られるだけで私は幸せよ。」
「はあーーっ?それだけ? ホントにそれだけでいいの?
先生は変人だけど、ルミ姉もヘンだって! 」

しばらくの絶句のあと、大きな目をさらに見開き華奢な首を振りながら言うイドゥンに、ルミはニコニコと頷づくと妊婦にはとても見えない軽い身のこなしで立ち上がった。
「お腹空かない?先生は夜まで帰ってこないから辛ラーメンを作って食べようよ。
その代わり食べ終わったら家中の窓を開けて換気するから手伝ってね。証拠隠滅しとかないと先生に怒られちゃう。」

「え、ルミ姉…そんなもの食べていいの? お腹の赤ちゃんに悪い…」
「いいの、いいの、毎日食べてる訳じゃないし。イドゥンも韓国の味が恋しくなってきた頃じゃない?
食べたいものをガマンする方がよっぽど身体に悪いわよ。
先生にはバレなきゃ大丈夫だから!」

ールミ姉…強くなったな・・・
悪戯っぽくウィンクしたルミに、イドゥンはニヤッと笑って同意を示したのだった。

ルミはラーメンを箸をつかう手を、ついと止めて真面目な顔になる。
「ねえイドゥン、三ヶ月前かな…まだ私がうまく話ができなかった頃の出来事なんだけど聞いてくれる?
誰にも言うつもりはなかったんだけれど… 」
イドゥンはそんなこともあったんだっけ…と差し向かいで湯気を上げる丼を抱えるルミを見て頷いた。
「三ヶ月前のあの日は風の強い日だったーー街路樹から落ちた枯葉が石畳の上で舞うたびに乾いた音を立てていたのを覚えているわ。
私は先生から頼まれた買い物を済ませてマリエン広場の辺りを歩いていたとき、ふと屋台が目に入って足を停めたの。
私は屋台で買ったホットチョコレートを手にして座ろうとベンチを探したわ、人混みの中を歩いて 少し疲れたから休もうと思って。
あいにく 、どのベンチも人が座っていたから 一人の男性が端っこに腰をおろしていたベンチに声をかけて座らせてもらったわ。
私の声に一瞬だけ顔を上げて、無言で頷いたその人は、うつむいたまま顔を上げるわけでもなく 膝にうずくまるように座ったきり背中を丸めた姿勢のまま動かなかった。
私は身じろぎもしないで座ったままの彼が気分でも悪いのかと心配になって声をかけたのよ。
ほら、私はミュンヘンでは誰が見ても異邦人だし言葉がたどたどしいのも不自然ではないでしょ?」

ルミは冷めかけたラーメンを豪快に音を立てて食べ終えると、優雅にナプキンで口を拭った。
グラスのミネラルウォーターを一気飲みすると、話を次いだーーー

「私の声に彼は意外に力強く否定の言葉をかえして、自分はブレーメンフィルハーモニー管弦楽団でコンマスをしている、と自己紹介したの。確か名前も名乗ったと思うのだけど忘れてしまったわ。
彼は問わず語りで、
ミュンヘンには恋人と遊びに来ていて、彼女は買い物中…自分は彼女を待っている。自分は疲れるとベンチにきてコーヒーを飲みながら静かな時間を過ごすことにしているんだ、と小さな声で言ったの。
彼は目線を上げて『少し自分のことを話しても構わないかな?』と独り言みたいに口を動かしたのよ。正確には私には、彼の声が低すぎて聴こえなくて斜めから彼の唇を読んだのだけど。
私が迷っていると、初めてこの男性は私を正面から見たのよ…メタルフレームの奥の深い青の色の瞳は昏かったけれど話し方は柔和だったわ。
私は何故、そんな個人的なことを初対面の人にしようとするのか理解出来なかったし、なんとなくイヤな感じもしたのだけれど聞くのを拒絶できなかった。緊張して声が喉の奥に詰まったみたいになってしまっていたから…
仕方ないから彼の顔を見て頷くと、彼は こめかみを蒼白くさせた固い表情のまま『ありがとうございます。』って軽く頭を下げたの。」
「ふーん、ナンパじゃなかったんだ。
まあ、ルミ姉妊婦だもんね。優しそうに見えたのかな…」
ルミはイドゥンらしい間の取り方に声を立てずに笑うと、すぐに顔から笑みを消した。
「彼が話したのは、恋人、、いえ彼のフィアンセのことだったの。
友人宅で開かれたパーティーで彼と出会った彼女は、始めこそ彼に気のあるふりをしてくれたけれど、やがて何かと理由をつけて自分から遠ざかるようになったんですって。
追いかけると迷惑そうな顔をするから、彼が悩んだ末に 仕方なく覚悟を決めて別れを告げると、今度は向こうから追いかけてきたらしいわ。
時には差し伸べた手をするりとかわされたりもしてね。
そんな日々の積み重ねの末に、今彼女は彼のフィアンセになっている…という話だったの。
それだけの…ありふれた男女のお話。
だけど私には好奇心が湧いてきたのよ、彼は大好きな彼女と婚約できて幸せなはずなのに、こんなに昏い目をしているんだろう?って。」
「それで…ルミ姉はどうしたの?」
ルミは膝を乗り出してきたイドゥンの手を宥めるように触れる。
「まあまあ、急がないで。
人間、窮すればなんとかなるものね。
『あの… どうして… あなたは?』
私は彼にたずねたの。ひどく掠れた声だったけど私の意図は通じたみたい。
彼は頷くと長い溜め息をついたあと応えてくれたの。
『僕と彼女の関係は…落ち着いているようで違います。彼女は忘れられない手があると僕に告白したのです』と彼は言ったのよ。」
「……手?なにそれ。それっていわゆる手フェチ?」
ルミはイドゥンに頷きで応え、食べ終えた丼をシンクに運ぶとティファールの湯沸かし器に水を入れ加熱のスイッチを押して食卓に戻ってきた。
「紅茶でいい?」
うん、と子供のように答えた後輩に目尻を緩ませると再び、言葉を選びながらゆっくりとした口調で話し始めた。
「彼は男にしては色素が目立つ柔らかそうな唇の両端を曲げて、やっとのように笑いのかたちにしてみせたの。
搾り出すように出した声は、温度が無いというか…淡々と自分を抑えて話そうと努力しているように私には聴こえた。
『彼女には、その手の主と一度だけだが深くつながった記憶があるようなのです。遥か昔の曖昧な記憶の中で、なにを話したのか どんな声だったのかさえ忘れてしまったのに、白くて長い彼の指の感触だけが忘れられない、と言うのです。
夢の中でもいい、彼の美しい手を永遠に自分のものにしたい。心をくれないなら、その指だけでも欲しいと願ったと。
彼女の言葉を思い出す度に、僕は苦しくなるんです。
どんなに楽しい時間を過ごしても、当たり前の恋人たちのように戯れを愉しむ余裕が僕には無い。まとまりのない気分が押し寄せてくるんです。
もちろん、僕はどうしようもなく彼女を愛しているんですよ、だから…なおさら、どうにもいたたまれなくなるんです。』
彼は静かに語り終えると口元を苦笑のかたちに歪めたあと、私にさみしそうに笑いかけてから握手を求めて右手を差し出したの。私たちは握手して、彼は先にベンチから去っていったのよ。」
「変な人…ルミ姉に言うだけ言って退散したわけか。彼女にベタ惚れの男の脳内妄想じゃないの?」
若さのさせる、言い捨てるような声音に、ルミは苦笑し紅茶を淹れに立った。
ルミの背中を認めて微笑むと、イドゥンは気をきかせて、辛ラーメンの残した臭いを部屋から追い出すべく窓を開けてまわった。
紅茶のカップを前に再び向かい合った二人は、顔を合わせてどちらかが先に口を開くか待っていた。
イドゥンは、ルミの瞳に微かに見える物憂げな翳に気がついて、猪突猛進な物言いを控えていたのである。
「窓は全開! ルミ姉寒くない?」
「大丈夫よ、ほら防寒は万全でしょ?」
手を横に広げてみせた…サイズオーバーの、長いダウンのベンチコートを着たルミは、イドゥンに応えるとミルクのたっぷり入った紅茶をゴクリと飲みこんだ。
「先生の次の公演はゲストコンサートマスターを迎えて行われるの。
そのコンマスは…ブレーメンフィルハーモニー管弦楽団のフランク・フラックスさんなのよ。
三ヶ月前に私が会って話をした人かもしれないけれど、そうではないかもしれない。
先生の憂鬱の原因は何なんだろう?
考えていたら思い出したのが、さっきの出来事よ。
先生は『指揮者とコンマスは、つくりたいと願う音楽に向かって意思を共有しなくてはいけない』と私に語ったことがあるの。
現状に先生は悩んでいるのかな?と想像したところで、私には そのゲストコンマスと先生の不和の理由も思いつかないし。
所詮、想像は想像でしかないし…彼の存在を先生の憂鬱と結びつけるのは無理があるわ。
イドゥン悪いけど この話は忘れてちょうだい。先生にも絶対言ったりしないでね。
忘れてた!イドゥンが来たら出してあげようと思って、ウイーン風のアップルパイを作ってあったのよ、食べるでしょ?」

ルミ姉・・・
イドゥンはアップルパイを切り分けるルミの、ほの見える翳を微笑みに包んだ整った顔を眺めた。
ーーマエストロに逆らうコンマス(であろう)
ーーコンマスのフィアンセの記憶~白く美しい手指
ーー心をくれないなら、せめて・・・

パズルのピースは、イドゥンの頭の中で散らかったままではあったが、とっさに頭に浮かんだストーリーを否定するには無理があった。

イドゥンは欧州留学を機に、欧州においてのカン・マエを知ることとなった。それは才能ある指揮者としての業績だけではなく、けして褒められたものではない、三流ゴシップ誌が飛びつきそうな過去の私生活についても…である。
嘘か本当か定かでない、もはや都市伝説になりかけている武勇伝はカン・マエの音楽家としての評価を一ミリも下げることはない。
そして、そんな世間の非常識が通るのが彼等 音楽家たち、イドゥンも足を踏み入れた世界なのである。
ルミは、いつもの、おしゃべりの絶えないイドゥンの沈黙に気遣わしげに眉をひそめ、務めて明るく声を掛けた。
「どうしたの…イドゥン、ぼんやりしちゃって。
アップルパイ口に合わなかった?」

イドゥンは、脳裏に指揮者のしなやかな手指のビジョンを見ていた…
彼女はサクサクした薄いパイに包まれたリンゴをホイップクリームにつけて大口で頬張ると、慌てて首を振った。
「おいしいよ!甘さが丁度いいね。
ねえルミ姉、今度はティラミスを作って。
ティラミスはね、イタリア語の【Tira mi su】って言葉からついた名前らしいよ。意味はね…私を引き寄せて、私を持ち上げて、私を元気付けて、だって。ロマンチックだよね~
彼がね・・・ 」

「あれ~ イドゥ~ん。
怪しいなあ~彼ってイタリア人?恋してたのね~
雰囲気が変わったなあって思ってたんだけど彼のせいかあ、ふーん。
だからクリスマス休暇も韓国に帰らないのね。」

口に手を当て、慌てて言い淀むイドゥンは耳まで真っ赤になっていた。
ルミは少し笑ったあとひと呼吸おいて、恋しているらしい後輩の念入りなフルメイクを施した顔を覗き込む。

「彼はパンクが好きなのかな~
皮のライダーズジャケットに、ダメージ加工したカットソー、ミニのプリーツスカート、スタッズ使いのアクセサリー、アイラインバッチリに真っ赤なルージュ!
足りないのはピアスとタトゥーかしら?ガーリーなファッションだったイドゥンのゴシックパンクの格好を見たら先生ビックリしちゃうだろうな。
で、どこで知り合ったの?彼氏も音楽院のヒト?」

ーーやがて来るクリスマスに、ルミ姉が最上の笑顔で笑えますように。

ルミがあはは‼と破顔し、昔と変わらぬ眉も目尻も下がる様を見せたとき、イドゥンは心中で願ったのだったーー


カン・マエ…なにやってんのよ・・・
あんたが世界一大事にしてるルミ姉の心を翳らせちゃダメじゃん。

イドゥンは鏡の前で唇を噛みしめ、ツインテールに結った黒髪を振った。
そして、鏡台の上に並べたブレーメン・フィルのフランク・フラックスと彼の婚約者である女性の画像に目を走らせた。
なんでも情報化されている時代の便利さは個人のプライバシーなど簡単に覗けてしまう。
彼女はプロのソプラノ歌手だった。

数日後ーー
イドゥンはカン・マエにメールを送った。
【先生、話があるの。ガスタイクセンターまで行くから会ってもらえませんか。】

カン・マエの返事、【忙しい 】の一言はイドゥンの想定済みである。
【じゃあさ、これから送る画像を送るから見てくれる?
もしかしたらご機嫌が悪くなっちゃうかもしれないけど。】
【見たが、こいつらがどうした?なにが言いたいのかわからんが、時間の無駄だ。】
イドゥンはカン・マエの渋面が浮かんだが、少し考えたあと 慣れ始めのブラックベリーの小さいキーに苦労しながら細い指を走らせた。
【女性はスウェーデン出身のソプラノ歌手ハリエット・ヴァンゲル。男性は彼女のフィアンセで、先生も知ってる先生の公演でゲストコンマスをつとめるフランク・フラックス氏よ。二年前からブレーメンフィルのコンマスをつとめてるルミ姉が会った人。
一言だけ言わせて。
あたしは先生から何かを聞き出したいんじゃないよ。
大切なのは真実じゃない。
大事なのは、想う人を一番幸せにすることでしょ?
ルミ姉に口止めされてるから詳しくは言えないけど、ルミ姉は三ヶ月前にミュンヘンに観光に来ていた…その写真の女性にベタ惚れのヘタレコンマスに偶然会って、彼の話を聞いているの。
ルミ姉は深読みしたり疑ったりなんかしてないよ、ただ元気のない先生をすっごく心配してるだけ。
先生には要らないお節介って言われてしまうのは分かってる。でも私に話した時のルミ姉の顔を思い出すと言わずにはいられなかったの、ごめんなさい。】

返信を知らせる音は鳴らなかったーー
「ミッション終了~‼
手間のかかるオジサンには苦労するよね~ 」
イドゥンは、目の前の皿のティラミスを一匙掬いスプーンを眺めて呟いたーー
「私を元気づけて…か。」
スプーンを口に入れると、ココアパウダーのビターな風味の次にマスカルポーネの滑らかな甘みが追いかけてきた。

マエストロとイドゥンがメールでの会話をして数日が経ち…イドゥンのブラックベリーに初めてマエストロからメールが届いたーーー
【25日のソワレ公演のチケットをおまえのぶんもとっておいた。
韓国に帰らないでぶらぶらしているなら、どうせ暇だろう。勉強になるから聴きに来い。
金のない貧乏学生を泊める部屋も用意してやる。
ただし、例の元寄せ集め楽団や元ソクラン市響の連中には絶対言うな。押しかけられると面倒だからな。
飛行機のチケットはeチケットがおまえのパソコンに届くようにしておく。】

「ふーーーん、カン・マエ、こんな洒落た真似ができるんだ。
さては、マエストロ殿のご機嫌はなおったのかな~ ルミ姉も一安心してくれたよね、きっと。
べつに暇ばっかしてないけど、行ってやるか。
もしかして私に感謝して…まさかね~」

ほんの一瞬頭を過った、かもしれない、という程度の曖昧な憶測は雲のように消え、それきりイドゥンは連想も広げる事は一切無かった。
彼女が初めて出会った頃からマエストロは無愛想ではあっても、愚直なほどに人に対して誠実な人だった。
いつしか彼女は自分の心に嘘をつき、本音を誤魔化して如才なく生きられないマエストロに自分と同じものを見ていた。
たびたび 人と衝突し、要領よく折り合いをつけることが苦手な、不器用にしか生きられないマエストロの辛さも理解できるようになっていった。
そしてマエストロを理解する事は自分の弱さを認めることになり、認めたくなかった幼い自分は、彼に反発していた事もあったのだーーーと懐かしく かつての日々を思いだす。

イドゥンは隣の部屋から聴こえる…上手とは言えないソナチネを奏でるピアノの音色に合わせてメロディーを口ずさんでいたーーー

今、傍らにいるひとの、その手に触れ心に触れて、お互いが発した熱を注ぎあったなら幸せが心を満たしてくれるのに・・・
イドゥンは忘れかけているハリエット・ヴァンゲルの面差しの断片…哀しみの色を奥に秘めたような彼女の黒い瞳に思いをめぐらせていた。



12月26日の朝が来たーーー
クリスマス公演が終わり、カン・マエ は久しぶりにルミとゆっくり過ごしている。
ルミが安定期を迎えてから日課にしているトーベンとの散歩から帰ってきたらしい。玄関のドアが開く音がして、手を洗っているのか水音が聞こえた。ソファに横たわって目を閉じていたカン・マエのおでこに『ただいま』の声と彼女の唇の感触が降りてきて、冷たい指さきが顎のあたりに感じられた。
「ああ… 帰ってきたのか。」

「起こしちゃった?ごめんなさい。」
「いや、、構わない。手が冷たいな…」
カン・マエは手を伸ばして愛妻の冷え切った手をにぎり、引かれるままルミはソファに座った。
カン・マエは、すっかり慣れた仕草で彼女の膝に頭をのせて目を閉じる。
「先生忙しかったもんね… 今日ぐらいゆっくり休んで。」
「う、ん、、だが大晦日から始まるジルヴェスターコンサートとニューイヤーコンサートがあるからな……今年の演目はベートーベンの第九だ。合唱団とのリハーサルは副指揮者がしてくれているが任せきりには出来ん。」
「先生はお仕事中毒ね、、、
楽譜はいいな~先生とずーっと一緒にいられて。」
カン・マエのうん、、とも ああ、、とも聴こえる低い声の振動がルミの膝に響く。
二人きりの時にだけのルミの甘えた声がカン・マエの耳を…全身をくすぐった。
「泊めてやると言ったのに、イドゥンはどうして来なかったんだ?
だいたい、あの格好はなんだ?下品極まりない。」
「ふふっ、、恋する乙女だからよ。
好きな人がPleymoっていうポップパンクロックにハマっているんですって。
女の子は彼の趣味に合わせてファッションが変わるのよ。
彼女の通う音楽院で知り合ったビオラ専攻のイタリア人らしいわ。
センスがあるらしいわよ、高校生のときにチャイコフスキー音楽コンクール三位にもなった人だって。
いつかどこかの楽団で先生も会うことになるかも。
若いわよね~公演のあと、ウイーンからはるばるイドゥンに逢いにきた彼とオールナイトでクリスマスを楽しんだみたい。」

ルミはふん、と鼻を鳴らして応えた夫に微笑み、宥めるように癖のある長い前髪をくしけずるように撫でた。
「あいつ、おまえのお人好しが移ったようだな。
他人を心配して余計なことを言う割には、自分の事となると無頓着なところはそっくりだ。」
「……え、イドゥン、先生になんか言ってたの?」

ーー相変わらず顔にすぐ出る奴・・・
カン・マエはニヤリと笑うと上体を起こした。
「いや、結婚っていいですか~などと人を茶化してきただけだ。
『恐ろしく金がかかる割に成功率が低いものはなんでしょう?』と聞いてきた時は笑ったがな。」

カン・マエはルミの右に腰を降ろし、自分の膝にルミの頭をいざなった。
「おいで…少し休んだ方がいい。」
「先生、さっきのなぞなぞの答えは?」
「先に答えたらなぞなぞではないだろうが。答えてみろ。」
「…ああ、えーと、なんだろう。博打かな? あっ、女性のお化粧とか?」
カン・マエは彼には珍しく声を出して笑い、愛妻の細い指をいじりながら応えた。
「化粧か、、、なるほど。イドゥンの答えは結婚だ。
あいつが思いつく筈はないから、何処かで飲んだ時の馬鹿話から仕入れてきたのだろう。」
「ふーん、知らないうちに大人になったわねえ、ハイドン嬢。
結婚ねぇ、意味が深そう…よくわからないけど。先生は答えがすぐにわかった?」

応えづらい時に見せるカン・マエの視線が泳ぐ様子に、ルミはわざと彼から視線を外した。
カン・マエはルミの肩をふわ、と持ち上げ、背中から抱きしめて応える。
「ルミ… 一日遅れだが、メリークリスマス・・・
来年のクリスマスはにぎやかになるな、楽しみだ。」

彼女のお腹に宿る小さな命を愛おしむように触れたカン・マエの手に、ルミの瞳からひとすじの涙が伝った。
耳元に囁かれた声を聴いて胸に飛び込んできた愛妻を、カン・マエは受け止めて優しく抱きしめるーーー
どちらともなく合わされた唇は、離れてはまた合わされて、気持ちのまま お互いを求めるような激しさになった。
カン・マエは長く…深い口づけのあと、ルミの潤みの煌めく瞳を見つめ 名残惜しげに抱きしめる手を緩めた、、、これ以上は、、止まれなくなる、、、

自制心が勝ったとき、彼の右手には固くこぶしが握られていた。
カン・マエは全身の力が抜けた心地に見舞われ、ルミの髪に口づけしながら息を整えていたのだった。
「先生、、、、愛してる。」
「… ああ、、、」
ルミの顔を両手で挟んで、こめかみ…額…鼻さき…唇…についばむように唇をあてていった・・・

愛しき人が ただ静かに目前に在る。

『Freude‼ 』ベートーベンが最後の交響曲に込めたフロイデ…歓喜の歌
『もっと喜びに満ち溢れるものを…』孤独と苦悩を越えて、ベートーベンが自らの書いた歌詞に込めた願いがカン・マエに沁みていったーーー

エピローグ

年が明けて二週間が経った。
カン・マエはクローゼットでグレーのピンストライプの三つ揃いとクリーム色のシャツ、光沢のある黄緑色にドット柄織りのネクタイを選び出し、身支度を始めていた。
新年に入り、専らミュンヘンフィルの拠点・フィルハーモニーでの仕事から、楽団も彼自身も各地を飛び回る仕事に戻る。
演奏は一期一会、二度と同じものはない。常に前を…より良い演奏を求める彼に「あの男」の記憶は薄れていた。
身支度を整えてルミが朝食を並べた食卓に座ると、一通の手紙が目に入った。
「これは?」
「さっき届いたの、先生宛てよね。」
冷蔵庫からサラダボールとドレッシングを取り出しながら応えるルミの背中を見るカン・マエの彼女の反応をはかる視線に、彼女は気づく様子はないようだった。

『運命のドアが開く音』の前で佇んでいたあのコンマスを思い出す。
カン・マエよりも頭一つ背が低く、色の白い丸顔にぽってりした女のような赤い唇の口角が下がるのが印象的な内気そうな容貌の男だった。
約ひと月前、リハーサルが終わって練習室から最後に出ていこうとする、ゲストコンサートマスターをカン・マエは呼び止めた。
「私は君の挑戦的な姿勢には敬意を表する。私に逆らうコンマスは数えるほどしかいなかったからな。
本番はもうすぐだ、否応なしに我らの音楽は客観的に評価される。
はっきり言うが、私は失敗するのを許せない。」
はいと返事したきり、ぼんやりとこちらを見ているだけのフランク・フラックスに苛立ちはしたが、カン・マエが彼のプライベートについて知る情報はハ・イドゥンがもたらした漠然としたものだけだった。
「フランク・フラックス君。
ベートーベンの交響曲第五番 第一楽章の冒頭に出てくる第一主題をベートーベンは『運命がドアを叩く音』と音の意味をたずねた弟子に答えているのは有名な話だ。学生でも知っている。
私は運命という言葉は好まないが、もし運命を自分が引き寄せたのであれば、その先だけを見て歩くべきだと思う。なにかを妬んで、結果自分を惨めに傷つけても面白くない。
君は婚約中だそうだな。迷わず彼女と手をたずさえて運命のドアをくぐればいい。
私は離せない手を見つけた、妻の手だ。君も彼女の手を離せないだろう?」

最後までフランクとのコンビネーションは噛み合わなかったが、それでも公演本番までには間に合った。
寡黙な男は公演終了後、控室に戻ったカン・マエに感謝の言葉を述べて静かに去っていった。
彼がカン・マエに柔らかい表情をみせたのは、この時が初めてだった。
彼の顔はなにかを吹っ切れたのか…清々しい明るさがあったーーー

ソファに移ってフランクの手紙を読むカン・マエに、ルミがエスプレッソのお代わりを盆にのせて運んできた。
「ふん、相変わらずへそ曲がりな男だ。わざわざ手紙を寄越して、なんの知らせかと思えば… 」
ルミに聞かせるように、わざわざのカン・マエの独り言に、ルミは足を止める。
我慢出来ずに戻ってきたルミを膝にのせて、カン・マエはフランクの手紙を見せてやる。
「私は結婚報告を受ける立場でもないし、奴に義理もない。貸しは山ほどあるがな。」
しらっと流したカン・マエはテーブルに手紙を無造作に投げた。
「フランクさん、結婚したんだ~
良かった~ あの時すごく悩んでたみたいで暗かったもん。」
「ん? おまえ、フランクと面識はないだろ。あの時ってなんだ?」
カン・マエはルミの腰に手をまわし、面白そうに顔を覗き込む。
「え、あ、あの…クラシックの雑誌で…あの、、」

「おい、エスプレッソが冷めるだろ。
おまえが膝にいると飲めないじゃないか。」

カン・マエはとうとう我慢出来ずに、口に手をあてて大笑いした。
冷めはじめたエスプレッソは、なぜかいつもより苦さを感じなかったーーー

Fin.

あとがき

クリスマスSS、遅くなりました。
どちらかというと、オトナの寓話のようなテイストです。
あとがきはまた、改めて。

管理人より。
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