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韓流ドラマベートーベンウイルスSS

アメイジング・グレイス

 ←ご無沙汰してます →気分はミュンヘン( ^_^)/~~~
春が始まったばかりにしては、空が真っ青に澄んだ美しい日だった。
乾いた風が彼の頬を過る。
風が足元から巻き上がって、彼の隣に佇む人の長い髪を揺らしたーーー

もし君と出会わなかったら、自分はどこまで独りで…どこまで行ったのだろうか。
じっと黙って…揺らぐ心に目を逸らしたままで。
君と一緒でなくて、きっと寂しいままの自分を認めぬままでーーー

~アメイジング・グレイス~

初春のミュンヘンーーー

ヘイリーの歌う【アメイジング・グレイス】の透き通るような声が流れる カン・マエ邸のリビングルームには愛犬トーベンと戯れる彼の恋人トゥ・ルミの姿があった。
編曲を学ぶ学生であるルミは、休日の朝食後 総譜に目を通しているカン・マエとさし向かいの位置に座り、 【アメイジング・グレイス】の編曲の宿題をしていたのだが、煮詰まってしまったらしい。
次の公演で演奏予定のシューベルトの交響曲第五番の総譜に目を通していたマエストロは、目を上げて総譜に鉛筆で書き入れると 傍らで気晴らしにトーベンと戯れ始めたルミを目の端に止め、密やかに微笑んだーーー

彼の面倒くさい逡巡を、時に無邪気な笑みで あるいは若さに似合わぬ達観のにじむ穏やな沈黙で包んだルミは、彼の最愛として一緒に暮らし始めて、まだ日が浅い。
彼女の大輪の白い花のような笑顔の奥には、そこはかとなく寂しげで 辛さを知っているせいなのか不器用に優しいところがある。
我慢強く、辛い思いを表に出さない癖が身に付いているルミの脆弱な面を理解しているのは、家族と彼ぐらいのものである。
彼は自分だけに向けるルミの笑顔がたまらなく可愛くて、華奢な容姿からは想像できない現実に反抗的なところにも惚れてしまっていた。
そして…彼女に、深く・分かち難いものを見ている。
自分がルミの勁く柔らかい部分を護り通したいと希ってやまないことを確信したとき、彼は初めて先を読まずに 女性に前のめりになってしまう自分を許した。

それまで、彼は どのような心理になろうとも、毅然と…淡々と自分らしく在りたい、在らねばならないと自分を縛り付けていた。
他人に無防備にならねば心を裸にする色恋はできない。しかし無防備になる事に対する不安が、彼に本音をさらけ出すことをさせなかった。

【俺のそばに居てくれ…】
短い、数秒で終わる、哀願に近い言葉を口にするまでの時間は、カン・マエにとって永遠のように長かったのである。

今…ルミと共にある幸せがいつまで続くのか、例えば明日一緒に死んでしまえば、この気持ちは永遠のものになる、などと愚かしい戯れ言を想う自分を嗤うばかりなのだ。
そして彼女を恋いながら流れる時間の中で、確かに自分が自分らしく生きている。とも感じていた。

まとまりのつかない…慣れていない感情は、さながら水辺に投げた石が波紋を生み出し、重なり合うようにカン・マエの心にさざ波を揺らしたーーー



カン・マエはひとしきり恋人を眺めると、また総譜に神経を集中させた。
ソファの横のコーヒーテーブルに手を伸ばし、オーディオのリモコンを押して音声を消した。

「散歩に行くか?」
ルミが振り向く前に彼の声に素早く反応したのは、トーベン…彼の老犬だった。
トーベンの尻尾が高く上がり、期待のぶん激しく振り幅がひろくなる。

「そうか、嬉しいか?
今日は休みだから少し遠くまで歩いてみるか。」
足元にうずくまる愛犬に、語りかけるカン・マエの目尻に目立つしわが寄るのは、彼の最もリラックスした表情である。

「トーベン嬉しそう、、くやしいわ、私がお散歩に誘っても、こんなに喜ばないもの。」

「当たり前だ、私が飼い主だからな。」
カン・マエは、エスプレッソを淹れにキッチンに立った、控えめに不満げな声を出すルミの顔をチラと眺め、満足そうに応えた。
ニヤッと唇を捲り上げた彼は軽く咳き込み、ミネラルウォーターを飲むと香り立つエスプレッソを彼の前に置いて、そのまま隣に座ったルミに目を合わせる。
ミュンヘンフィルの首席指揮者・音楽監督として、つねに最高の演奏ができるように体調管理には人一倍気をつかっているカン・マエも、体力面と精神面の両方でハードな日々に 風邪が治りきらないまま、仕事に忙殺されていた。

「準備をたのむ、風がまだ冷たいから上着を着ていけよ。
おまえに風邪をひかれては困るからな。」

「先生は心配症ね~ 大丈夫です!私は先生と違って雑草ですから。私は丈夫なとこぐらいしか取柄がないの。
先生こそ、最近風邪気味でしょ?人の心配するより、早く治してくださいね。
お仕事が詰まってるんだから体調管理してくださいよ。」
「そうらしいな、韓国でも 傘もささずに雨の中を走っていた。
風邪をひくのは自業自得だが、バイオリンケースが濡れては楽器に良くないとは考えないのか。と私は呆れていたがな。」
「……先生、私が雨の中を走ってたって・・・いつの事がわからないけど…
見てたんですか?」
「ああ…たまたま雨音が気になって窓ぎわから外を眺めたら、能天気なおまえの姿が目に入っただけのことだ。
特段 理由はない。」

ルミが言いたかったのは、仕事となると無理も厭わないカン・マエへの"ささやかな心配"だったのだが、見事に過去の自分にすり替えられてしまった。
微かにもらした溜め息のあと、艶やかな唇をとがらせたのは、彼には想定内であり そんな風な顔つきをすると歳下の恋人がさらに少女じみた様子になるさまを眺めるのも、彼の愉しみなのだ。
「…先生、、本当にバイオリンの心配が先だったんですか?
信じられない…まあ先生らしいけど。」
怒るでもなく、柔らかい頬の線を見せて 小首を振った恋人を後頭部から斜めに目の端に認めた時、思いがけず、あの日の情景と共に去来した…言葉で説明のつかない複雑な想いが、カン・マエをチクリと刺した。
あの時、己がルミを愛し始めていたのか…それとも[彼等]の若さに眩しいものを見ていたのか…未だ彼にはわからない。
あの日のカン・マエの目に映りこんだ、己が貸した傘をルミにさしかける…同姓同名の弟子の背中・彼を斜めに見上げた時のルミの笑顔が鮮やかにフラッシュバックする。

「懐かしいわ・・・
先生にボロクソにけなされたり うまくいかない事があっても、大好きなバイオリンを弾けて、先生の元で素敵な仲間とシンフォニーを奏でることができた。
私は…私たちは幸せ者よね。」
表向きの明るい声に翳がまじって、声が尻すぼみに下を向いた。
カン・マエは自分の何気ない言葉が招いてしまった空気を持て余し、手近にある総譜を眺める振りをするしかなかった。

〈今はどうなんだ?私と一緒に暮らしている今、おまえは幸せか?〉
口にできない問いが、彼に恋人をまともに見ることを躊躇わせた。

少しくぐもって聞こえる声は、あの日の雨の音と混じって、独り言のようにかき消えた。
ルミがソファに来るやいなや、彼女の足元に移動して、背中を撫でてもらっていたトーベンが、くぅーーんと声を出す。

「トーベンたら…くすぐったい!
大丈夫よ…お散歩行こうね。
お水持っていかないと…待ってて。」
ルミが立ち上がるとトーベンも大きな身体を起こしたが、主人の恋人の背中を澄んだ眼差しで見送ると再び身体を伏せた。
どうやら長年カン・マエのそばで暮らしているせいか、人の感情の機微に敏感なトーベンはルミの手を舐めて慰めていたらしい。
自分のようなひねくれた男でなければ、さりげなく その華奢な肩に手をおくか 頭を撫でて慰めてやるところだろう。それですべてが片付くことも彼は知ってはいる。
素直になれぬ自分を呪ったカン・マエは、窓の外に視線を向けて口元をゆがめた。
彼はルミに声をかけるタイミングをはずし物思いに沈むしか術がなかったのである。
どれだけの時間が過ぎたのか…彼はルミの朗らかな声で我にかえった。
「先生‼ 支度できたわ。
散歩に行くんでしょ?」
目前に、オレンジ色のショートコートに似つかわしい…えくぼを見せ、こぼれるような笑みをカン・マエにむけるルミが立っていた。

「ああ… そうだな。」
目尻が下がって、頬がぷっくりとまるくみえるルミに目を合わせて応える。
四角くて尖りのある心境の時ですら、瞬く間に尖りをのぞいてまるくさせる…優しく、強く彼に勇気を与える笑顔が咲いていた。

寡黙なカン・マエのゆっくりとした返しに、ルミはそれでも彼が自分に寄せる想いを、自分に語りかける時の穏やかな口調や 合わされた彼の眼差しから全身で感じている。
カン・マエは言葉の代わりにルミの左手首をつかみ、指先を 彼女の手の甲をすべらせ…彼女の指先に向かって、一本一本 確かめるように愛おしげに触れたあと、彼の長い指を絡め・・力強く握った。

カン・マエは手をつないだまま、すっと立ち上がり… ルミの体は上体から たやすく引き上げられて真近く向かい合うかたちになった。
カン・マエの右手がルミの後頭部にあてられ…彼女の上半身は傾いて柔らかな頬は彼の鎖骨のくぼみにすっぽりとおさまった・・・
髪を撫でる大ぶりな手は、背中に下りて直ぐ、在りかを迷った・・・
自分とルミの身体にある10センチのすき間が自分のもどかしい想いのようだった・・・

「ルミ…、 大丈夫か? 」
頭骨に響く低い声に応えるルミのあごの動きに、カン・マエは所在なく浮かせていた手を彼女の腰に回し抱きしめた。
背中に回されたカン・マエの指先に力がこもった時、安心したようにルミの口から漏れ出した息の熱さが、彼を過去から現在に連れ戻したのだったーーー

「最近忙しくて、ゆっくり散歩に連れて行ってやってないからな… 」

「だし」にされたトーベンはむくりと起き上がり、ソファから三メートルほど離れた暖炉の前に座っていた。

ーおまえがそばに居るからこそ…
「先生ったら変なの…
散歩はいい気分転換になるわ。きれいな空気と新緑の香りは先生の疲れを癒してくれるでしょ?」

カン・マエは、ルミが手渡したベージュのコートとバーバリーチェックのストールを羽織ると先に立って歩き始めたーーー

「おい、早くしろ!なにしてるんだ?」

「はーい、すぐ行きます!」

「……女ってのは、必ず待たせるものなのか?さっきは支度できたと言っていたよな?」
ぼそりと、溜め息まじりにトーベンにつぶやいたカン・マエの耳に、忘れ物があると言って奥に取りに行ったルミの、すっかり耳慣れた声と足音が聴こえたーーー



この日は いつもトーベンを連れて歩く公園の前を通過し、イザール河に面した公園を目指してゆっくり歩いた。
頭を空っぽにして、純粋に季節の移ろいを味わいながら散歩する愉しみも、傍らに愛する人の存在を感じながら歩む道程の楽しさも、カン・マエにとっては特別なものだ。

彼に違う世界を与えた自覚のない恋人は、想いを滅多に表に出すことのない彼の変化には気付かないままであるが・・・

公園の入り口には門のように木が二本生い茂り、木の手前にある小さな水門には清らかな水が流れている。
「着いた?」
「ああ…ここだ。
おまえがミュンヘンに来る前は ここまで来ようとは思わなかったが…
大きな楡の木があるそうだ、木陰でトーベンを休ませてやろう。水を入れる皿は持って来たか?」
「もちろんよ、トーベンの大好きな柔らかいビーフジャーキーもあるの。
あ、それからウェットティッシュと先生の喉のためにリコリス飴と…
フルーツグミも。コレ大好きなの。」
「おまえは子供か?
遠足じゃあるまいし… 」

片頬に苦笑いを浮かべたカン・マエの心には楽しげなロンドが流れていたーーー

一人の散歩には長すぎる…
ルミがカン・マエの本音に気付くはずもない。
「先生、ここに来たの、もしかして初めてなの?一緒に来たの、私が初めて?
わあ~なんだか嬉しいな!私は先生と一緒にいると初めての事だらけだけど。」
「公衆の面前だぞ。
分かったからまっすぐに歩け!」

飛びつかんばかりのルミをやんわりと右手で制しながら、カン・マエは思う。
〈俺はおまえと一緒で、初めてのことだらけだ・・・〉

15分ほど歩くと、樹齢100年をこえる、シンボルツリーの楡の大木が見えてきた。
「あの木かしら?日の出の丘の木に似てる……覚えてる?先生。」
「ああ… そうかもしれないな。」

トーベンはルミが皿に注いでやった水を飲むと、柔らかな下草が生えて、可憐な小さな花を咲かせている楕円形の木陰に大きな体を横たえてウトウトと眠り始めた。
老犬のトーベンは、長距離の散歩に疲れたらしい。
寒さが緩んで、公園には子供連れの親子が散歩に来ており、子供の楽しげな声が遠くに聞こえた。

木陰に佇み巨木を見上げて佇むカン・マエとルミの脳裏に、昔日の日の出の丘での記憶が巡った・・・

「ねえ先生、日の出の丘で二度と逢えないと思っていた先生に逢えた時はドキドキして心臓が飛び出しそうだったわ。
思わず先生に抱きついてしまったの…
だらしなく緩んでしまってた、あの時の私の顔、先生に見られなくってよかった・・・恥ずかしいもの。」
ルミはカン・マエの輪郭をなぞるようにあてていた視線をはずすなり、頬に手をあてて小さく息をついた。
「…そう、、か… 」
「先生と逢えて嬉しかった…離れることになっちゃったけれどね。
もう一度…もう一度先生に再会するまで、何度も何度も思ったの。あの時、もっとちゃんと先生の顔を見ておけばよかった、って。
先生を独り占めできた幸せすぎる時間だった…私の一方的な想いの中でもね。」
「まるでメモリースケープ…だな、都合のいい妄想の中で自分を救っていたわけだ。おまえに思い出に耽る趣味があるとは知らなかったな。」

自分の毒舌に、今さら動じるわけはなかろう…と気楽に口にした言葉に、ルミは予想外の反応を見せた。
「違うの、、私は…過去に戻っても虚しいだけって分かってた。
もう時間は戻らない…先生はもう私を必要とはしてないってね。
だけど…あの時間を、記憶を切り取って眺めてるだけで強くなれる気がしたの。

先生ごめんなさい…気にしないで。」
うつむき加減で肩をすぼめているルミの髪に、梢から漏れた太陽の光があたってキラキラときらめいた・・・
カン・マエは泣かれると困ると思って焦ったが、ルミは泣かなかった。彼女の瞳が潤むこともなかった。
彼女は、喉を微かに鳴らしてから顔を上げると 時間をかけて歳上の恋人を眺め、微笑みを浮かべたまま彼の手の甲に右手を重ねて静かに息をついた。
「ル、、、 」
ルミは、言いかけてーー掠れ声のあと、コンコンと咳き込んだカン・マエの口にバッグからリコリス飴の袋を取り出し、一粒取り出して彼の口に含ませた。
「意地悪言うから罰が当たった~
舐めて、喉にいいから。
美味しくないけどがまんしてね!」
「… これがリコリス飴か。噂は聞いていたがマズイな、食べ物とは思えない。」
カン・マエが顔をしかめた時、眠っていたトーベンがむくりと起き上がりワン!と声を出すなり走り出した・・・
トーベンは5メートルほど先の、木陰に続くなだらかな草地で転んでしまった五歳ぐらいだろうか…フードつきの赤いコートを着た女の子に駆け寄り、寄り添っていたーーー

「あの子転んじゃったのね~
トーベンは優しいなあ。怪我してないかしら?見てくるわね。」
ルミに続いて、カン・マエも少女とトーベンのもとに向かった。
「転んじゃったのね、どこか痛くない?大丈夫?」
「うん、痛くないよ。ワンちゃん大きいね、ふわふわの毛可愛いね。
お姉ちゃんの犬?」
「え?ああ、この犬は後ろにいる…おじさんの犬よ。
おとなしいでしょ?」
ルミは膝を落としてトーベンの首すじを撫でながら少女に目線を合わせ、伏せの姿勢のトーベンの背中を小さな手でかき回しながらニコニコしている少女に応えると二歩分離れて立っているカン・マエに顔をむける。
姉の子供と遊んだ経験のあるルミと違って、子供慣れしてないカン・マエは表情に変化なく ただ眺めるばかりである。
「お母さんは?一緒に公園にお散歩に来たの?」
「うん、お母さんと弟と三人で来たの。弟はね、まだ赤ちゃんなの。
大きな木の下でお昼寝するんだよ。
あれ?まだ来ないかな?」
「じゃ、ここで待ってようね。
あ、お姉ちゃんフルーツグミ持ってきたんだ。食べる?」
カン・マエは、ルミが少女の手にグミをのせようとした瞬間、ルミの肩に手をおいて振り返らせた・・・
「おい、トーベンを触った手に直接のせたら汚ないだろうが。
ウェットティッシュで拭いてやれ。おまえの手も拭けよ。」

「ユリア…ユリア‼
ここにいたのね、先に行っちゃダメって言ったでしょ!」

少女の小さな手を綺麗に拭いてやり、ルミが赤や黄色のフルーツグミをのせたとき、風に乗って少女を呼ぶ母親の声が聞こえ、ベビーカーを押した大柄な女性の姿がせまってきた。
「あ、ママだ! 」
カン・マエは、ルミの膝に座っていた少女が、立ち上がって歩き出したのを目にすると、少女の正面にひざまずいて目線を合わせ、 ゆっくりしたドイツ語で語りかけた…
「待って。お菓子のあるほうの手をグーにしてごらん…そう、それでいい。
ママのところに行くぞ。」
カン・マエは、腰を上げたルミを目線で制すると滑りやすい草地を走り出そうとした少女の手をひいて、ベビーカーに少女の弟を乗せて歩く母親の前まで連れていき、軽く会釈すると少女の手を離した。

「おじさん、お姉ちゃん、ありがとう‼
大きいワンちゃんまた会おうね~ 」

「ワン!」
カン・マエとルミ、トーベンは、小さな手を頭上に振る少女と頭を下げる母親に別れを告げて楡の木の木陰を後にした。

「ねえ先生… 」
「なんだ、なにか言いたそうだな。喉なら調子いいぞ。リコリスが効いたらしい。」
面白くもなさそうな顔をして応えるカン・マエに、ルミはさらにたたみかける。
「…じゃなくて、先生って小さなレディには優しいのね~
私だって、あんなに優しくしてもらったことないのに。
私も手をつないで歩きたいな、ねえダメ?」

「滑りやすい草地でまた転んではいかんから手をつないだだけだ。
なにを言っている、おまえは一人で歩けるだろ?」
甘えるような調子のルミを受け流すとカン・マエは歩く速度を早めた。
「先生ーーっ、待ってぇーー
わかりましたから~ 」
駆けてくるルミの声を聞いて頬を緩めたカン・マエは足を止め振り向くとトーベンのリードを左手に持ち替えると右手を差し出すように伸ばす。
「仕方ない、少しだけだぞ。」

つないだ手と手の温もりは、彼の想いとルミの想いを伝え合っていたーーー
欧州での暮らしが長くても、どんなに慣れ親しんでいても、カン・マエの心には"異邦人の孤独"がずっとあった。
東洋人として差別の目で見られている…音楽家としての実力がなければそれで終わり、それが欧州のクラシック界での東洋人の現実だ。
誰にも負けない、その反骨心が彼を支えていた。
居場所を求めて…ずっと葛藤していた。ひとつも慰めを得ることも、慰めを求める気分に囚われることもなく時間は流れ、彼はその時間に身を委ね続けてきた。
今は【ここが自分の居場所】そう信じる事が出来る。

「先生、手 離さないの? 」
「おまえ、さっき私のことを"おじさん"と呼んだろ? 私はおまえにおじさん呼ばわりされる義理はない。
手を離さないのは、罰ゲームだ。
帰るまで手を離さない、分かったか?」
「えーっ、だってお兄さんと呼ぶには… 」
「下手に素直だな、まあいい。」
二人の視線が交わり、カン・マエの指先に力がこもった。

つないだ手に汗をかくルミに、カン・マエは彼女に見えないように柔らかな笑みを浮かべたのだったーーー

それから5年の年月が経ち…
楡の木の下には、カン・マエと三歳になった愛娘カン・サランの姿があった。
老犬トーベンはかなり体が弱っており、公園まで車で連れてきて ゆっくりとトーベンの歩く速度に合わせて散歩するようになっていた。

「パパーーーっ、木の上に鳥がいるよ。 」
トーベンの歩みに合わせて歩くカン・マエは走っていった愛娘に声をかける。
「足元に気をつけろよ、滑りやすいからな!」

案の定、梢にとまった鳥に目を奪われいたサランは転んでしまいお尻をついて半泣きになった。
カン・マエはリードを手放し、愛娘に駆け寄り抱き上げる・・・
「パパ…鳥さん飛んで行っちゃった。」
「怪我はないか?どこか痛くないか?」
「うん、どこも痛くないよ。」
カン・マエが愛娘の頭を撫でてやると、小さな手が彼の顔に触れ…可愛らしい唇が彼の頬にキスをしたーーー

「パパ大好き!トーベンの次に大好きだよ。」
「トーベンの次…か?そうか…」
「パパおろして、もう平気!」

少々複雑な心境の父の気も知らず、サランはリードを外してやったトーベンと戯れ始めたーーー



昔…人を遠ざけ、自ら進んで孤独の中に自分を追い込んでいたーーー

そんな風にしか生きられなかった自分には見えなかったものがーーー

今はーーーはっきり見える。

Fin.

あとがき

久しぶりのアップです。
結婚式の時に流れる定番曲アメイジング・グレイスを聴きながら書きました。
私はクリスチャンではないのですが、歌詞の神様のところを大事なひと、好きな人に変えると、すごく感じるものがある・もちろんメロディーも美しい曲です。

真冬に春の話…って(大汗)なんだかな~と思いましたが、話の内容が小春日和に合っているように思えて季節は春!です。季節感ゼロで申し訳ありません。
楽しんでいただけたでしょうか?
読まれた方の気持ちが温かくなられましたら、拙作ながら嬉しく思います。

管理人チップより。
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~ Comment ~

NoTitle

チップ様、新作お待ちしていました。

アメイジング・グレイス、良い歌ですよね。
罪深さを悔いるときの人間の純真さが、よく伝わるメロディーだと思います。
(そんな歌詞でしたよね?)
ヘイリーさんの歌でも聴いたことがあります。ピュアなお声ですよね~。

SSの感想です。

弱く力ない者にも容赦がなくて、追い詰めることも平気でしてきた過去が、ルミと出会って大きな後悔になったのかもしれなくて。
芸術家って我儘勝手と純粋さが混在しているから、大きな葛藤に必然として出会うように思います。
それを包むことができるのは、ルミのしなやかな「勁さ」かな……と出だしの部分を読んで感じました。

おお、トーベンは長年の飼い主を立てていますね。なんか犬らしいわ。その上「だし」にもなってあげているのね……。
あ、でも素敵な公園に連れて来てもらったのね。よかったね、トーベン。

カン・マエの翳は、ルミの笑顔が消してしまうのですねー。
穏やかな日常生活の間に、彼の中の様々な思いが昇華されていくのでしょう。

温かいお話をありがとうございました。
次のお話も楽しみにしています。

NoTitle

チップさま

毎日寒いですね。
遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。

とても優しいお話。 可愛いルミ、満たされるカンマエ、幸せな2人。
こちらもほわ~っとしました。

トーベンはやはり役者ですね。なくてはならない存在ですね。

このお話、ドラマを観たすべての人たちの希望をかなえたんじゃないでしょうか。
これが2人の理想の姿ですもんね~。

再開してくださりありがとうございます。
遅くなっちゃいましたが、少しずつですけど、コメント送らせてください。

チップ様、ご家族様のご健康とご多幸を、心よりお祈り申し上げます。

れいこより

パスワード教えてください🙏

チップ様
突然のメールで失礼します。
あまり通信機器に詳しくないので、届くか心配です。大変遅ればせながら、何回も読ませて頂きありがとうございました🙇
気分の滅入った時は、カンマエとルミの幸せなストーリーで癒されてます。
R15も読みたく、パスワードお願いします。

Re: パスワード教えてください🙏

まるまる様

長いこと更新していない我が家にご訪問ありがとうございます^ - ^
手順としては違うのですがパスワード記しておきますね(^_^)
bvmaerumi です。
よろしくお願いします。
管理者のみ表示。 | 現在非公開コメン卜投稿不可です。

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